ある所にいくと胸がざわざわし、拒絶反応が現れ、恐怖に慄き、感情がこんがらがる。
それは大体、責任を持つ必要が出てきたことに対しての反応。
しかも、反応は、人に対しての責任を持つことについての過剰反応。
すごい雨雲☁️今日のブログは長いです🖋
自慢なんですが、w、私、出来る子なんです✨(*´꒳`*)
これ、このセリフ、言いたくありませんでしたね〜。笑
物事に関しては、結構なんでもこなせる器用さがあります。基本的になんでも出来ます。
こういったら、できる責任を持たないといけないですし、持たされることが怖かったんです。
はい、逃げてました✨(*´꒳`*)
小学生の頃はすでにそんな感じで、覚えている高学年では習い事(ピアノ、水泳、バスケなど)でも、習っていない絵や習字も小さくはありますが賞をとることもあって、なかなかちやほやされてきました。
基本的に大人受けが良かったので、ちやほやの中にいたと思います。
人のズルさがわからない人だったので、ちやほやは、褒めてくれていることとして受け取って、私の喜びになっていました。
認められてる、必要とされてる、大好きな人が喜んでくれていると。
ちやほやしてくれるのは、相手の都合だったと気がつくまでは…
がーん( ̄◇ ̄;)
(基本的におバカさんです)
うちのおばぁちゃんもそうですが、私も人に騙されるところがあります。
幼少期から、どなたにでもついていってしまうところがあり、母親によく、気をつけてねと伝えてもらっていた記憶が出てきました。
大人になっても、すぐ人を信用してしまうので、お金を払わされそうになったり、利用されることも多かったです。笑
ちやほやの中で受け取ってた気持ちとして、もう一つありました。
『私という存在そのもの』じゃなくて、『私のできる物事』しか相手は見てくれていなかったと感じていたことです。
色んな責任や物事を任されることは多かった(体育委員長とか、バスケ部のキャプテンとか、リーダー系)ですが、
任された分、役割の責任についてからの叱咤激励を頂いてきた時、
本来の私を見てもらえず、
責任ばかり求められたことは、責任を取りきれない私はダメな子だったんだ、人とは関わってはいけない子だったんだと自分に教え続けてきていたのです。
(周りの方の事実ではなく、私が感じてきたことです。)
そのため、ただ単純な物事(わかりやすく行ったら、大工仕事はOK🙆♀️、ただのシール貼りとかもOK🙆♀️という感じ)
を進めることを任されることは自分にOKが出せ、
何か人が関わることに責任を持つ(持たされる)ことに、拒絶感と恐怖感が強く出て、OKが出せない私がいました。
そんなこんなのちやほやの傷によって、私は私を諦めてしまっていたことに気がつきました。
本当に私に付き合ってくれる人もいない。
私ができなかったら関係を切られる。
私は必要なかった。
友だちとの関係も、上手くいかないことばかりでした。
お付き合いした方ともそう。
家族とすら、上手くいかなかった経験など、人との関係で上手くいかなかったことが、更に私の気持ちを自分で助長させていきました。
自分を諦め、自分回避をしてしまっていました。
愛着障害です。
人からも自分自身からも愛着回避をし、分離感、孤独感、諦めがあり、自分を考えなくなっていったんだと気がつきました。
私が私をとことんダメだと思ってきていたのです。
だから、どこかにいきつくと、私は私がわからない。としか言葉が出ないようになることがあります。
最近、良く見つけていました。
どうしたい?
に答えきれないのです。
今思うと、考えないようにしていました。
自分をわからなくさせることで、自分を守っていたのです。
もう、もはや鬱です。
この相反する自分の捉え方が、自分の中にあった極端な【できる・できないについて考えていた私】に繋がっていきました。
物事ができるという行動に自分のできるという自己肯定感は物凄くある。
しかし、自分自身そのものに対する肯定感がない❣️
育まれていなかったんですよー‼️
なんたる盲点。
私は、存在しない方がいい、でも、生きていたい私がみんなといるには、出来ることだけしてたらもう何も言われずに済む。
そんな風に、自己卑下の中にいたのです。
最近もまた、話し合いだらけの日々、おばぁとの学びの中でやっと見つけ、理解できた私です(๑╹ω╹๑ )
そして、私は、この過去から変わってきていることにも気がつけました。
おばぁとSangoの仲間からは
信頼
をもらっていたということです。
思い出すと、
どこまでもお付き合いいただいてきました。
死にたい私の話を、どんな小さなしょうもない気持ちにさえ縮こまっていた私の気持ちを聞いてもらってきました。
良い悪いじゃなく、魂で物事を見てきてくださいました。
今まで経験したことのない世界でした。
私でいいということです。
(いつも同じことしか言いませんが 笑、それしかないのですよ。)
生きていくことすらも、「自分で自分を助けるのよ。」と、伝えていただき、信頼していただいてきました。
だから、這いつくばってでも、自分でここまで上がってきました。
良い悪いがなくなってきたら、自分を笑えるようになりました。
それが私はしたいことです。
笑っていたいです。
大切な人と一緒に。
それができる今は、とても幸せです。
また、Sangoで活動する中、おばぁとの学びの中で、いろんな挑戦をさせていただきました。
失敗もたくさんさせていただいたし、本当に任せていただいて、色んな経験をさせていただきましたが、
責任という面から責められたことはありません。
責任が持てなかった私はなんだったのか?
そこにある癖や感情を共有してこれたのです。
私に向き合い続けていただいています。
私は私から逃げなくていいんです。
1つずつ向き合って、自分に気付いていったら、また明日、できることから始めたらいいんです。
仲間と一緒に、笑いながら。
そんな今日はとても幸せです。
とても大きな混乱を、今、受け止めることが出来ました。怖かった気持ちを受け止め、自由に、喜びに、自分を連れて行きます。
これからは、自分を考え、仲間たちと共に、日々をまた大切に学び、喜んでいきます✨
今日の素晴らしい気づきと、これを書きながら、今までの悲しかった気持ちを聴いてくれた紘彰さん、気づきを共に分かち合ったねぇねぇたち、そして一緒に活動している仲間たち、みなさんに、家族に、心から感謝と愛をこめて🌈
長いけど、お読みいただき、ありがとうございます😊
今日は虹が2つも見れました✨
🌺 Family(や〜にんじゅ)
『やんばるの宿 ゆい』
自然と調和した暮らし・『がんばらない』を大切にし、スピリット(魂)と繋がる生き方を実験・実践する中、世界中の人々と共に、学び・喜びを分かち合う場として展開しています。
そんな暮らしにちょっと触れてみたい・・穏やかな波動を感じたい・・
ご家族で、お友達と、お一人でも大歓迎‼︎
*Family(や〜にんじゅ) では、沖縄中部でも、『ねぇねぇたちの家 ゆい²』があり、スピリットと繋がる生活体験やセッション・整体などのプログラムも行なっています。
私のブログに出てくる沖縄おばぁ(もこさん)、ねぇねぇたちと一緒に学べる素敵な
空間です。詳細、予約・問合せはこちらの公式HPから♪
🌺一般社団法人 Sango
豊かな自然の中で、自分を成長させる霊的な学びを実験・実践するコミュニティです。
日々の生活を通じて、自分と向き合い、目の前の人を鑑(かがみ)として、互いに学びあい、新しい自分へと変化していく。
「どんな自分でもいい」という安心の中で、自分を素直に表現し、共に成長しあえるコミュニティSango。
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