私にとって、パートナーである紘彰さんはどんな存在なのでしょうか?
そんなことを考えた最近。整理ができました。
私にとって『大切なこと』
大切な今を書きました。
🌱出逢い🌱
私と紘彰さんは実は東京で知り合いました。
私が東京で、氣光というエネルギー療法を始めた頃。
友人が私の氣光を紘彰さんに紹介してくれて、それがきっかけで出逢いました。
当時は全く、恋愛対象でもなくw(お互い)、私の氣光を紘彰さんはお金がない中、漫画を売ったりしてでも受けてくれる・・
私にとって、信頼して、それを受けてくれる貴重な存在でした。
(当時はこのことを私自身が意識的には気づいていません)
そんな中、紘彰さんから紘彰さんのお友達がガンになって。。という相談を受け、私はその時すでに出逢っていたおばぁを紹介。
紘彰さんはおばぁとの何度かの出会いの中で、おばぁから沖縄に来ないかと声をかけてもらった後、ちょうど今から6年前に沖縄へ旅立って行きました。(今、思ったら、そんな素直さに嫉妬や行ってしまった寂しさもあったなぁ・・w)
🌷当時の私。そして沖縄へ行く🌷
私はその頃、まだ自分に意地をはっていて、“東京でも私らしくなんとか生きていきたい”と、またがむしゃらに働いてみたり、好きだと思うことを色々やってみていました。
そして6年前の春にかけて、花粉症がひどくなり、目も開けられないほどの症状や、呼吸困難(喘息に近い)、外にも出れない、夜も眠れないようになっていきました。
そんな事態の中でもう、おばぁの顔しか浮かんでこなかったので、関東でのセッションがちょうどあると聞き、おばぁに会いに行きました。
10分で終わったセッション。
忘れもしません。
あなたには野心があるね~~と言われました。😅
あと、色々伝えてくださった中、私はボロボロと涙し、10分後にはチョ===スッキリ。
そして、おばぁに、
沖縄に来ない?
と声をかけてもらいました。
その3週間後に、友だちと沖縄旅行の予定があったので、
『そのまま行きます。』
と答え、スーツケース一つで沖縄へ。
そして来年の春に沖縄に来て丸6年になります。
🏝沖縄の生活、始まり🏝
沖縄へ行った頃、紘彰さんは畑仕事をしていて、おばぁのもとで生活する私とはちょっと違った生活。あまり接点は感じませんでした。
その後、時は流れ、おばぁとの共同生活が広がり、紘彰さんも共に生活するように。
当時は、紘彰さんの生活様式が信じられないことが多く、よく叱ってました。w
この頃、私はまだまだ、ものすごく自分に厳しく、負けを許さなかったので、いろんなことが許せなくて、紘彰さんの態度に幾度もブチギレ。
出っていったら?
と言うこともしばしばありました。
(ヤンキーな面ダダ漏れ・・本当、御免なさい。)
そんなこんなでも、出ていかない紘彰さん。
一生懸命変わろうと、すっ転びながらも前を見ていく紘彰さんと、とにかく共に生活しておりました。
(おばぁと私、紘彰さん他に何人かが出たり入ったりしてました)
👩❤️💋👩紘彰さん、私を・・👩❤️💋👩
そして、そんな中、なぜか私を好きになった紘彰さん。
ものすごい謎でした。w
私は元カレをめちゃくちゃ引きずっていて、一生その彼を想っていくと決めていたし、ある意味一人で生きていくんだと腹をくくっていたので、そんな強がりの私には、紘彰さんの気持ちや好意はとても恐怖になりました。
なので、何度も、
殺さないで!
と感じてしまう私。
自分の強がりをおろしてしまったら、私は私じゃなくなる。と言う気持ちがこんなセリフを作っていました。
無理ですとお伝えしたことも、
告白をスルーしたこともあります。
なんと言っていいのでしょうか。
今はとにかく頭が上がりません。(//∇//)
🌍紘彰さんと私と、そしておばぁ🌍
そしてそんな二人を理解してくれていたおばぁ。
一緒に暮らす中、魂の学びというところから、
紘彰さんには愛とは何か?を伝えてくださり、
私には生きるとは何か。を教え続けてくださっていました。
私は、当時、自分が生きるか死ぬのかという心境で、おかしくなって飛び出そうとしたり、走り回ったり、いろんな騒動を巻き起こしており・・
それをおばぁはひたすらに理解と受容で私を救ってくれていました。
🗻Sango🏔
そんな中、今のお山が与えられ、Sangoという法人をおばぁと私と紘彰さん含む、当時いたメンバーで立ち上げました。
Sangoの掲げている理念は、当時のメンバーみんなで何日もかかって創りましたし、法人の立ち上げも自分たちでさせていただいたのです。
みんなで創ったSangoのお山で、ゆっくり、自分に向き合う学びや安心のある暮らしをしていく中、私の心は少しずつ、落ち着いていきました。
💗私の心の変化💗
そしてある時
愛
というものを学んでいる自分が、目の前に私を愛してくれている人がいる。
その人に対して、私はどうしたいのだろう?
そう考えるようになりました。
拒否
は何を生むのだろう。。
そんなことも考えました。
そして、やっと紘彰さんの優しさや私を受け止めてくれているその愛に
気づけるようになっていきました。
それまでにどんな言葉を伝えようが、私がどんなに怒っていようが、傷つけていようが、そこに「いる」紘彰さんを見つけたのです。
どんどんと紘彰さんに対する見方が変わり、
私は、紘彰さんの誕生日に、自分の気持ちを伝えることにしました。
大好きです。と。
🌈今、ありがとう🌈
それから、約2年。
寄り添い合い、学び合って、お互いを大切にして一緒に生きている最愛の人として、今共に生きています。
元彼のことで、自分を傷つけて、さみしくさせていた私は、新しく愛しい人を創ることも、その人と一緒にいる時間さえも、怖がって怖がって怖がり続けていました。
それでもそんな私を受け入れ、愛し、見守り続けてくれてきた紘彰さん。
本当にかけがえのない大切な存在です。
私をあきらめないでくれてありがとう。
たくさんの喜びを教えてくれてありがとう。
一緒に紡いできたこの時間を、私は私の中に紡いでいきます。
👼死とその向こう👼
死という終わりを怖がって、いつか訪れる別れを怖がっていたけれど、私の中で生きていくこの記憶・喜びを大切に紡いでいきます。
魂の世界を知り、死の向こうの何があるのか、少しずつ恐れから喜びへ向ける意識ができて来ています。
死は終わりじゃない。死は命の一部。
必ずどこかで生き続けている。
そんな風に思えるようになって生きています。
私の命は、出逢った全てでできています。
父や母、弟、妹。おじいちゃん、おばあちゃん。
そしてみんな。
私は私であることが嬉しいです。
私らしく。を受け取り始めている今日に、
そしてたくさんの学びと愛を与えてくれた紘彰さんに
こんな私たちを受け入れ、共に暮らしているおばぁとSangoの仲間に
繋がっている全ての命に心から感謝を込めて。
LOVE
Sangoのブログはこちら♫
愛する紘彰さんのブログも面白いですよ♪
ありがとうございます🌷