今日は、『ロケットストーブづくり』という体験を開催致しました🚀
すごく楽しかったし、感動がたくさんありました❣️
ロケットストーブをつくっている間、
講師の紘彰さんに進行はお任せして、
細々したことをやっていました。
小屋にいたところに、
今日、一緒に来てくれた3歳の女の子。
Lさんが小屋へ。
前回の、草木染めあそびの時にもお母さんと一緒に来てくれていたので、場所と、私と紘彰さんの顔を見て、
にっこり☺️
前回の安心があったのでしょう。
より、安心して、自分の時間を過ごされていました。
(前回の安心は、1人テント🏕)
しばらく小屋で、
私は私でしたいことをしつつ、
Lさんは彼女なりに遊び出し。
お互いの時間。
かかわる時はかかわり、
放っておく、見守る距離感の私の訓練。笑
保育士の時のかかわり方から外れ始めている自分を見つけました✌︎('ω'✌︎ )
保育士の時は、
⚫︎怪我をさせてはいけない。
⚫︎見はるくらいに見ていることが仕事。
⚫︎手を差し伸べるのが親切と思い込んできた。
⚫︎保育の学校でならった子供の発達はこうという知識で、子供たちを見ていた
のだと、はっきり気がつきました。
自分の発達障害の気質や、
コミュニティの中で、様々な人とのかかわりや理解、経験。
おばぁとの学びを通して、
自分がここまで、子供といても、
私でおれることを自然とあることができたのは初めてでした。
嬉しかったです☺️❤️
途中、Lさんが、
机の下にもぐって何やらもぞもぞ。
これは、きっと💩。笑
繊細さのかけらもなかった以前の私は、
保育士時代なんかは、
カーテンに隠れて💩する子とかもいたけれど、
デリカシーなく、
「💩してるんだね!」
なんて声かけるような人でした。
出た後も、【直ぐに気付いて、すぐに変えてあげなくてはいけない】という意識だったので、
大人が気づき、
「💩でたね!変えようね♫」
と声をかけて、オムツ替えなどをしていました。
今日は違う自分がいました。
Lさんは、今、わたしに気づかれないようにか、
💩できる空間を自分でつくっている。
この後、どうするのだろう?
と考え、見て見ぬふりをして、見守ることにしました。
すると、
Lさんのために切ったりんご🍎を持って小屋を出ていくのではありませんか。
ずーっと目の端で様子を見てました。
(違うことをしながら)
りんごをきっかけに、お母さんのところへ行くのです。
私は、
こんな風に意思表示をするんだなぁと、
目が覚めた思い出した。
お母さんのところへ行く間、
私がお母さんに告げた方がいいかな、とか考えて告げようとしましたが、
いやまてよ。
と。
わたしに言わないということは、
お母さんに気付いてもらいたい。
私とは、まだいうても2回目だから、
💩をいえる距離感ではないかもしれない。
恥ずかしいという気持ちがこの子にはあるんだ。
そう思いました。
だから、お母さんのところへ行って、
お母さんに変えてもらいたいんだろうと思えたのです😌
そのやりとりを私が奪うんじゃなくて、
彼女とお母さんに任せてはどうか。
と気付かないふりして、離れたところから感じていました。
その後、そんな話をお母さんとしていたら、
「自分が(お母さん自身)気づけなかったから、
『💩でたよ。』って伝えてくれた。」
ということだったんです。
すごいなぁって思いました。
3歳の女の子の行動に流れる繊細な気持ちや、
動き。
今まではこんな繊細さはわからなかったです。
ある意味傲慢に、【わかってあげる】ことが大切だと思ってきました。
自分がわかってほしかったからです。
それが、薄くなってきていることと、
人との距離感の経験が、
私を育ててくれているんだなぁと、
直接的にかかわっていないけど、
その子の自分で行動することに心共にあれたことが、
とっても嬉しかったです🌱
ミニお風呂につかるLさん☺️
このことが1番大きかったですが、
今日は、たくさんLさんに教わることがありました。
共に過ごせて感謝です❤️
お母さんはお母さんで楽しみ、
子供とのやりとりもお母さんとして必要な時はやりとりする。
子どもは子どもで考えてあそべる信頼をお互いに育んだり、
共に参加している人や、
私たちも、
家族で一緒に生活しているように子どもとおれる場となったこと。
とてもとても素敵な学びになりました。
本当にありがとうございます😊
ロケットストーブ、薪でつくる美味しいごはん。
みんなでお話ししながら、ごはんを囲める。
幸せな幸せな時間でした❤️
今日もありがとうございます😊✨